はじめに
団塊の世代一期生の私は、今年(2023年)の初めに後期高齢者の仲間入りをしました。ただし従来どおり、広島市内の保険薬局で薬剤師として働いています。(週1.5日+α)
さて、今年春になり(5月8日)、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の位置づけが、感染症法上では、「いわゆる2類相当」(新型インフルエンザ等感染症などと同等)から「5類感染症」(季節性インフルエンザなどと同等)に変わりました。
そうした中で、今年もさまざまな出来事がありました。
国立国会図書館に納本:『サリドマイド事件―世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか―』2023年02月
サリドマイド事件とは、催眠・鎮静剤サリドマイドを妊娠初期の女性が服用することによって、胎児(正確には胎芽期)に四肢短縮などの障害(奇形)を生じた世界的な薬害事件のことを言います。昭和35年前後の話です。(1950年代後半から1960年代初頭にかけて)
私は、2015年3月(平成27)、『サリドマイド事件』の初版(Kindle版/電子書籍)を出版しました。その内容は、1999年7月(平成11)開設の「Akimasa Net」(自分メディアとしてのWebサイト)で、折に触れて書きためていた資料を抜き出してまとめたものです。
ところで、Amazon KDPでは、2021年10月(平成3)から、個人が直接ペーパーバック(紙の書籍)を販売できるようになりました。POD(プリントオンデマンド)方式によるもので、注文に応じて一冊ずつ印刷するため在庫を持つ必要がなく、出版のリスクを回避することができます。
私も早速、『サリドマイド事件』のペーパーバック版を作成しました。この初版の発行日を2021年11月15日としたのは、サリドマイドの危険性に警告を発した「レンツ警告」(1961/11/15)から、ちょうど60年の節目の日に合わせたものです。
その翌年、第2版(2022年4月)で何とか恥ずかしくない体裁が整ったため、国立国会図書館に自分の手で初めて納本しました。今年になって、更にペーパーバック第3版(2023年2月)を決定版として、改めて国立国会図書館(東京)に納本しました。
第3版刊行に向けては、法政大学大原社会問題研究所環境アーカイブズ「川俣修壽・サリドマイド事件関係資料」をはじめ、広島県立図書館や国立国会図書館で、昨年来大変お世話になりました。
なお今年11月時点で、国立国会図書館関西館(京都)から、第3版の見積もり依頼があり、1冊お買い上げいただく手続きを進めているところです。
参考)私の出稿用ファイルは、Kindle版(電子書籍)とPOD版(紙の書籍)の両方共、ほぼすべて自分一人で作っています。
追記)年末までに、国立国会図書館関西館に1冊無事納品しました。
『坊がつる讃歌 誕生物語―広島高師をめぐる人と人のつながりを追って―』2023年04月
芹洋子の「坊がつる讃歌」について
本書は、”坊がつる讃歌誕生物語”の決定版として作成しています。Kindle版(第3版の最新刷)からペーパーバック版(初版、2023年4月)を作成して、国立国会図書館に納本しました。
芹洋子の「坊がつる讃歌」は、NHK「みんなのうた」(1978年6月・7月)で初めて披露され大ヒットしました。その2年前には、彼女の代表曲の一つである「四季の歌」が、各社競作でレコード化されヒットしていました。
しかしながら、芹洋子が紅白初出場を果たしたのは、この1978年大みそかの第29回NHK紅白歌合戦です。そこで彼女は、「坊がつる讃歌」を歌いました。
さて「坊がつる讃歌」は、坊がつる(大分県竹田市)で、九州大学の学生3人によって作られた「坊がつる賛歌」(1952年7月作成:昭和27)を多少アレンジしたものになっています。
元歌「廣島高師の山男」について
「坊がつる賛歌」(大分県)にも元歌があり、それが「廣島高師の山男」(広島県)です。
「廣島高師の山男」とは、廣島高等師範学校山岳部第一歌のことで、単に「山男の歌」とも呼ばれています。作詞は1937年(昭和12)ごろであり、1940年8月(昭和15)に曲として完成しています。
ここで廣島高師(廣島高等師範学校)とは、官立の中等学校男子教員養成機関のことであり、戦前の広島には、旧制の中等学校教員を目指して全国から教師の卵が大勢集まってきていました。
「広島高師の山男」は、そうした教師志望の学生の間で歌われ、やがて、高師卒業とともに全国の中等学校(旧制)に拡散していきました。「坊がつる賛歌」は、大分県出身の教師が広島で覚えた「山男の歌」から生まれたのです。
もちろん「山男の歌」は、廣島高師の流れをくむ広島大学でも歌われ続けています。
当事者による”坊がつる讃歌誕生物語”には誤りが多すぎる
私のWebには、時々思いもかけないメールが飛び込んで来ることがあります。
ある時、「広島高師の山男」の作曲者のお孫さんからメールをいただきました。それをきっかけにして、ときにはお孫さんを介して、お母様(作曲者の二女)とのメール・手紙によるやり取り、更には電話でのインタビューをさせていただきました。
また、坊がつる讃歌に関しては、その他複数の方々からもメールをいただき情報交換をしました。それらを踏まえた上で、「坊がつる讃歌」が大ヒットした当時の各社新聞記事のクロスチェックを繰り返しました。
私は、こうして出来上がったペーパーバック版(2023年4月刊)を、広島県立図書館に寄贈しました。それを受けて、以下の『レファレンス協同データベース』(広島県立図書館2013年7月23日登録)は、同図書館によって直ちに削除されました。
「坊がつる讃歌」(ぼうがつるさんか)は,昭和15年に作曲された広島大学山岳部の歌と関係があるらしい。このことについて書いてある資料はないか。
広島県山岳連盟に問い合わせたところ,会報もみじ91号に関連の記述があると聞いた。
(以上、レファレンス協同データベースの質問内容)
広島県立図書館が上記の質問(および回答)を削除した理由は、同図書館が回答に用いた資料(上記の会報「もみじ91号」を含む)の中に明らかな誤りやあいまいな箇所が数多くあり、回答の質を保てないとの判断によるものと思われます。
それらの回答資料には、広島高師あるいは広島大学関係者の書き残した書籍なども複数含まれています。広島県立図書館において、これらの資料価値を正確に吟味した上で、坊がつる讃歌に関する「レファレンス協同データベース」を書き直していただくよう期待します。
さらに、広島大学教育学部の公式Webの中には、私が”坊がつる讃歌誕生物語”のキーマンと考える人物について全く何も言及されていません。私からの問い合せに対して、「全く何も分かりません」とのお答え一つで、当事者として「調べてみよう」という気概は一切感じることができませんでした。誠に残念なことです。
広島大学がオリジナリティを尊重する学問の府であるとするならば、広島高師「山男の歌」成立とその後の経緯などについて、原作者を顕彰しつつ、きちんと考察した文章をまとめて書き残しておくべきであると考えます。(なお、書籍版完成につき、私の坊がつる讃歌Webページは閉鎖しています)
インターネット上に誤りは流れ続ける
広島市内の歌声喫茶の歌集に、「雲に消えゆく山男」というのがあったと聞いたような記憶があります。インターネット上にも、かつて「雲に消えゆく山男」をよく歌っていたという話があったり、今でも歌詞そのものが載っているのを目にします。
しかしながら、この歌と「坊がつる讃歌」を結びつけて考えるのは誤りです。
「坊がつる讃歌」の元歌は、間違いなく廣島高等師範学校山岳部第一歌「広島高師の山男」です。私自身、周りの広島大学関係者から、それ以外の話を聞いたことはありません。
追記)12月になって、原曲の作曲者ご家族様から、改めてペーパーバック版を直接お買い上げいただきました。また、その本をご両親の墓前に供えたとご報告をいただきました。
『Obsidian 次世代型のメモアプリ―Zettelkasten 知的生産の技術を超えて―』2023年06月
私は本書で、無謀にもエンジニアの世界に足を踏み入れてしまいました。それがなぜか不思議と読まれています。なお本書でも、Kindle版(2023年6月)に引き続いて、ペーパーバック版(2023年9月)を出しています。
本の概要は、Amazon公式Webで読むことができます。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0C8ZMFM8P
さらに、上記ページの「試し読み」あるいは「サンプルを読む」をクリックすると、書籍の「はじめに」の部分を読むことができます。コロナ禍を踏まえて書いた力作になっています。こちらもお読みいただければ幸いです。
なお現在、Obsidian関連の別の書籍を執筆準備中です。
『白神山地と世界遺産登録―世界最大級の原生的なブナ林保護政策―北村正哉・青森県知事による青秋林道工事の見直し発言がすべてだった』2023年01月
日本初の世界遺産登録は、1993年12月9日(平成5)のことになります。
この時、白神山地(青森・秋田両県)と屋久島(鹿児島県)が自然遺産として登録され、同時に文化遺産として登録されたのが、法隆寺地域の仏教建造物(奈良県生駒郡斑鳩町)と姫路城(兵庫県姫路市)です。
広島県では、その三年後の1996年12月6日(平成8)、「厳島神社」(廿日市市宮島町)と「原爆ドーム」(広島市中区)が、一緒に世界文化遺産に登録されました。
さて、21世紀に入ってしばらくの間、私は、西中国山地の細見谷渓畔林(現・広島県廿日市市吉和/広島・島根県境尾根付近)で遊んでいた時期があります。ブナなどの落葉広葉樹林帯を貫いて、すでに建設されていた未舗装の十方山林道(幅員3~4m)を、大規模林道化(拡幅・舗装化)する計画が進んでおり、自然保護の立場から反対していたのです。
結果として、2012年1月(平成24)、広島県(湯崎英彦知事)が国(旧・緑資源機構)の大規模林道事業を継承しないことを表明したため、細見谷渓畔林の原生的自然は、現状のまま保存されることになりました。
細見谷渓畔林(廿日市市吉和)は、ブナなどの落葉広葉樹林帯に属しており、本州の山岳部を通って白神山地のブナ原生林につながっています。この北方の落葉広葉樹林帯こそ、三内丸山遺跡(青森県)など「東日本」の豊かな縄文文化を育んだ樹林帯です。
ところで、世界文化遺産「厳島神社」(廿日市市宮島町)の構成資産には、本社本殿を中心とする嚴島神社(神社の正式表記)の建造物群に加えて、大鳥居のある前面の海および背後の弥山原始林が含まれています。(厳島全島の約14%)
弥山(みせん)原始林は、「西日本」の照葉樹林(常緑広葉樹林)の典型とされています。この南方に連なる照葉樹林帯こそ、縄文に続く弥生文化を支えた稲作の渡ってきた道です。
つまり、広島県廿日市(はつかいち)市には、日本の本州を東西に二分する樹林帯である落葉広葉樹林帯(ナラ林帯)と常緑広葉樹林帯(照葉樹林帯)の二つの極相林が、同一市内に存在していることになります。
さて、白神山地が世界遺産に登録されるにあたっては、ある新聞記者(河北新報社:本社仙台市)が大きく関わっています。その方から、ある時私宛にWebを見たとメールをいただきました。
私のWebの内容が未熟であったため、気になったようです。それ以来、情報の取り扱い方などをはじめ数々のご指導をいただいています。
今年(2023年1月)に入って、『白神山地と世界遺産登録』(Kindle版)については決定版とすることができました。ただしその後、上記に書いたような案件が続いたため、ペーパーバック版を作ることができず、年末を迎えてしまいました。
追記)12月下旬、その方から、白神山地に関する新しい論文を書いたとのうれしいお電話がありました。
おわりに
以上、お読みいただきありがとうございます。これにて、今年の年末のご挨拶に代えさせていただきます。最後に、皆様方のますますのご健勝をお祈りいたします。