2024年(令和6)年末にあたって(自分メディアとしての Akimasa Net)

1)喜寿を迎えるにあたって

団塊の世代一期生の私は、年が明けるとすぐに喜寿を迎えます。ただし、来年も引き続き、広島市内の保険薬局で薬剤師として働く予定にしています。(一人薬剤師パート勤務)

さて今年は、SNS(Social Networking Service)が、完全に市民権を得た年になりました。東京都知事選挙、衆議院議員総選挙、あるいは兵庫県知事選挙などにみるように、少なくとも旧メディア(新聞・テレビなど)のみに頼っていたのでは、日本の現状は把握できないことがはっきりしてきました。つまりは、世界の動きも見えないということになるでしょう。

ただしこの現象は、例えば《SNS vs. 旧メディア》のどちらか一方が、絶対的に正しいという問題ではないと考えます。

情報媒体が何であれ、年齢性別がどうであれ、自分自身の頭で考え判断すべき時代がきています。そうした中で、後期高齢者の私は、後を託す若い方々のために、できる限りのfact(事実)を残しておきたいと考えています。

2)『Obsidian 次世代型のメモアプリ: Zettelkasten/知的生産の技術を超えて』(2024年9月改定)

エンジニア界隈では大人気のソフト(メモアプリ)について、素人の私が無謀にも改定版まで出すことになりました。特に意識して付け加えたのは、最後の文章化の部分です。

梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書(1969年)の最終章「11 文章」を主として参考にしています。

自ら蓄積した資料(材料)を使って〈自分の考えをまとめる〉こと、そしてそれを〈分かりやすく書く〉ことについて述べています。さらに、一般市民を対象とした〈広報文〉の書き方について、用字用語の使い方を中心にまとめました。

注)今後の変化に柔軟に対応するため、紙の書籍(ペーパーバック版)は絶版にしました。現在は、アマゾンKindle版(電子書籍)のみ発売しています。

注)私のアマゾンKindle版は、改訂版を出してもそのまま継続して読むことができるようにしています。つまり、一度ご購入いただいた場合、その後は無料で読み続けることができるという意味です。ところが、新版を出したにもかかわらず、ことさら旧版の欠点をあげつらうアマゾンレビューがあると辛くなります。

3)『細見谷渓畔林から白神山地へ』(2024年12月)

私は、今年9月下旬、秋田県の「北羽新報」(本社:能代市)の「読者のひろば」に投稿して掲載されました。その内容は、世界自然遺産「白神山地」(秋田県・青森県)の管理方針をめぐって、秋田県側のみ「原則入山禁止」となっていることに疑問を呈したものになっています。

白神山地と、私が自然保護活動をしていた細見谷(広島県廿日市市吉和)は、共に日本海側気候に属する豪雪地帯です。私はこの投稿をまとめる過程で、細見谷での自然保護活動を記録した自著こそ、私の原点であることを再認識しました。

  • 『細見谷渓畔林と十方山林道』自費出版(2007年10月)

さて、今回の投稿文の800文字だけでは、私の想いのすべてを書き表すことはできません。せっかくの機会なので、その約10倍の8,000文字程度に膨らませて、《私と細見谷渓畔林》について完全な一文としてまとめ上げました。そしてそれを序章として、既存の「白神山地」に関する文章と合わせて新しい一冊として作り直しました。

  • 『細見谷渓畔林から白神山地へ』(2024年12月)

さらに上記自著の中から、細見谷の動植物たちについて書いていた既存の文章を追加しました。ブナ、ツキノワグマ、小型サンショウウオ、イワナ(ゴギ)に加えて、番外編のキレンゲショウマの項です。

21世紀に入って、ツキノワグマの大出没が続いています。また、さまざまな動植物に関して、最近の学術研究の成果は素晴らしいものがあります。細見谷の動植物たちの項は、それぞれ視点を新たにして内容を大幅に刷新しています。

注)アマゾンKindle版(電子書籍)は、ほぼ完成しています。紙の書籍(ペーパーバック版)は、年末までずれ込むかもしれません。

4)『ケネディ暗殺と東京オリンピック1964』(仮題)

KDDI MUSEUM(KDDI株式会社)を、今年11月中旬、故・前田治郎さんの娘さんご一家と一緒に見学しました。同ミュージアムは、日本における国際通信の歴史などを紹介する史料館として、2020年12月(令和2)にリニューアルオープンしています。(東京都多摩市/最寄り駅:各線の多摩センター駅)

同ミュージアムでは、日米間初の衛星中継実験(日本時間1963年11月23日)の中で、米国から日本語のナレーションを送ってきた前田治郎さんの生の声を聞くことができます。(当時35歳、毎日放送ニューヨーク特派員)

それはまさに、ケネディ米大統領が暗殺された当日のことでした。同大統領は、日米間初の衛星中継実験が始まる直前に、テキサス州ダラス市内をパレード中に銃撃され死亡しました。

当時ニューヨークにいた前田さんは、ケネディ暗殺直後の実験放送の中で、全くの偶然から日本語によるナレーションを入れる機会を得ました。そして、当日の実験担当(米国側)であったNBC放送で放映されていた在りし日のケネディ大統領の演説映像などを見ながら、アドリブで解説を次々に入れていくという仕事を見事にやり遂げました。

前田さんの音声は、NBCのテレビ映像と併せて日本に向けて送信されました。その電波を中継したのが、通信衛星リレー1号です。最終的にその電波を日本国内で受信したのは、カセグレンアンテナというパラボラアンテナの一種で、宇宙中継のために日本が独自に開発したものです。

アンテナの設置場所は、国際電信電話会社宇宙通信実験所(後のKDDI茨城衛星通信センター(2007年3月に役目を終え閉所)、現・茨城県日立市十王町)でした。

なお、通信衛星リレー1号は、約3時間で地球を一周する低軌道衛星であったため、日米双方から「見える」20分程度が中継の限度でした。その後、静止衛星シンコム3号が打ち上げられて(1964年8月)、リアルタイムの映像が24時間配信可能になりました。

こうして、東京オリンピック1964(1964年10月10日~24日)では、《世界初のオリンピック衛星生中継》が実現しました。

さて話を戻して、衛星中継の実験当日(11月23日)は土曜日でした。その当時土曜日は半ドンでしたが、勤労感謝の日であり休日でした。

その時高校1年生だった私は、実験放送の第1回目(日本時間午前5時30分から/モハービ砂漠の映像)と第2回目(同午前9時から/前田さんの出番)を共に見ました。そして後年、その時のことを簡単にまとめて、Webに書き込んでいました。

山本注)「モハービ砂漠」(Mojave Desert)という表記は、前田さんに準じています。

ある時、私のWebを見たという前田治郎さんから、“事実と異なる”とのメールをいただきました。そしてその後、郵便、FAXや電子メールで数多くの資料およびアドバイスをいただき、私の文章を完成させることができました。(2004/04/25)

それから時を経て、2020年2月(令和2)、KDDI MUSEUMを設立準備中の関係者の方から、私のWebを見たと言って突然メールをいただきました。

同ミュージアムのリニューアルに当たって、《衛星通信コーナーの映像で前田治郎さんのナレーションを使いたい》とのこと、そのためには、ご遺族の承諾が必要であり、私がその仲立ちをしてご了解を得ました。(前田さんは2014年3月ご逝去、享年85歳)

早速、同ミュージアムを創っていたプランニングディレクターの方とご一緒にご挨拶に伺いたかったのですが、コロナ禍に突入したため果たせずにいました。今回、娘さんご一家が初めてミュージアムをご訪問されることになり、同プランニングディレクターの方から私にもお声がかかり、ご一緒に見学することができました。

ご一家と同行する中で、歴史の貴重な一コマを皆さまでしっかりと受け継がれているその想いに感動しました。そこで、〈活字にして記録を残しましょう〉ということになりご了解を得ました。

【注意】
NHKアーカイブス「初の日米宇宙中継 大統領暗殺の悲報」
https://www.nhk.or.jp/archives/
第1回目と第2回目の映像をつなぎ合わせたうえでコメントを入れているため、誤解を恐れずに言えば、事実を歪曲した作りになっています。

5)『坊がつる讃歌 誕生物語―広島高師をめぐる人と人のつながりを追って―』(2023年04月)

本書は、”坊がつる讃歌誕生物語”の決定版として、昨年(2023年)4月に出版(紙の書籍)したものです。このたび(今年11月)、「坊がつる賛歌」を介して、九州の方々と大きなつながりができました。

追記)大分合同新聞の一面コラム「東西南北」で紹介されました。(2024/12/05)

この件も、過去のWebつながりからきています。ほぼ20年くらい前に、大分県出身の方から私のWebを見たと言ってメールをいただきました。その時、私のWebでは、「坊がつる賛歌」9番の平治(岳)の読み方が分からなくて困っていることを書き込んでいました。

その方からのメールでは、平治(岳)のことは意識的に「ひーじ」または「ひいじ」と呼ぶようにしているということでした。参考文献を添付した上で詳しい解説をしていただきました。

その後その方とは、長期間にわたってブランクがあったため、昨年(2023年)4月の出版をお知らせすることができずにいました。今回改めて、その方(大分県出身)と私の中学高校の友人(広島県出身)が、学生時代に親しかったという関係に託してみました。なお二人の関係は、これまた私のWebつながりで分かったことでした。

さてその結果、つながりが復活しただけではなく、さらに多くの方々へと広がっていきました。その中には、以前頂いた資料の中にお名前の出てくる方のご子息などが含まれています。飯田高原(くじゅう坊ガツル ・タデ原湿原)では、多くの方々が世代を継いでお付き合いをされているようです。ぜひ一度、皆さま方にお目にかかってご挨拶したいと思っています。

【参考】
芹洋子の「坊がつる讃歌」は、坊がつる(大分県竹田市)で、九州大学の学生3人によって作られた「坊がつる賛歌」(1952年7月作成:昭和27)を多少アレンジしたものになっています。その「坊がつる賛歌」には元歌がありました。それが、「廣島高師の山男」(廣島高等師範学校山岳部 第一歌)です。戦前の昭和12年ごろ作詞、昭和15年8月に曲として完成しています。

広島高師の流れをくむ広島大学教育学部では、Web上でこの「山男の歌」を紹介しています。しかしながら、私が最近改めて考察した結果では、その歌詞に疑問な点があります。全国各地に残る「山男の歌」の資料でほぼ一致した歌詞になっているにもかかわらず、広島大学で《記憶の中から復元した》という歌詞が異なっているのです。

さらに言えば、最近は学内でも歌い継がれていないのではないでしょうか。少なくとも、私の書籍にはまったく反応がなく、かなり寂しい思いをしていたところです。

【参考】
「山男の歌」の作詞者・神尾明正さんは、長らく千葉大学に奉職し、芹洋子の「坊がつる讃歌」が世に出る直前の1978年3月、千葉大学を定年退官していました。全くの偶然ですが、千葉大学には倉敷青陵高校(岡山県立)経由で「山男の歌」が伝わり、千葉大学「山男の歌」として歌い継がれています。今年(2024年)11月、千葉大学園芸学部同窓会さまと改めて情報交換をしました。

6)『サリドマイド事件―世界最大の薬害 日本の場合はどうだったのか―』(2023年02月)

決定版(紙の書籍)を昨年、国立国会図書館(東京都千代田区)に納本しました。また同関西館(京都府相楽郡精華町)からは、別途納本依頼があり1冊お買い上げいただきました。

ところで、「公益財団法人いしずえ」(サリドマイド福祉センター)は、「HPVワクチン薬害訴訟全国原告団」などと共に「全国薬害被害者団体連絡協議会」(薬被連)を結成しています。その薬被連は、国によるHPVワクチン(いわゆる子宮頸がんワクチン)の積極的勧奨(2022年4月再開)に反対しています。

しかしながら私は、この点に関して、薬被連の活動には正当性がないと考えています。なぜならば、《薬被連がHPVワクチンによる薬害だと主張している症状は、HPVワクチンそのものとは関連性がない》ことが、日本の疫学研究によって証明されているからです。

もちろん、「これらの症状で苦しんでいる子どもたちがワクチンのせいであろうとなかろうと、しっかりと向き合い、その苦しみを除くために努力すべきだ」という提言には同意します。(森内浩幸・長崎大学小児科教授、下記Webより)

  • HPVワクチンで救える命を見殺しにしていいのか? 大手新聞社が握りつぶした幻の記事を再掲
    https://www.buzzfeed.com/jp/hiroyukimoriuchi/hpvv-moriuchi-yomi
    (掲載日:2021年5月20日)

「苦しんでいる人たちに寄り添った支援をする」ことは当然として、それでもなおかつ私は、薬被連による「HPVワクチンの積極的勧奨への反対活動」は支持しません。

また、問題をここまで複雑化させた大きな要因として、大手マスメディアの関与があると考えています。それらを含めて、『サリドマイド事件』の増補改訂版を計画中(時期未定)です。

7)2024年ノーベル平和賞を「日本被団協」が受賞

ノルウェーのノーベル委員会は、2024年のノーベル平和賞を日本の団体「日本被団協」に授与することを決定しました。広島と長崎の原爆生存者(ヒバクシャ)による草の根運動は、核兵器のない世界を実現するための努力と、目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを示したものとして評価されました。(日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会)

私は、「核兵器は絶対悪」との立場を取っています。

8)これからのこと

今後は、上記の事柄を少しづつ整理しながら、《ゆったりとやって行くつもり》です。それにしても、生成AIは外せないようです。

  1. パソコン購入(PC9801-VX2) 1987/02/07、39歳
  2. インターネット加入 1996/01/08、48歳
    (ホームページ開設 1999/08/14)
  3. スマホ購入(iPhone3GS)2010/02/14、62歳
  4. OpenAI無料登録 2023/02/21、75歳
    (ChatGPT4、サブスク登録 2023/08/23)
    (API接続に切り替え 2024/04/29)

以上、お読みいただきありがとうございます。これにて、今年の年末のご挨拶に代えさせていただきます。末尾ながら、皆様方のますますのご健勝をお祈りいたします。

【追伸】
Webの管理に多少の負担を感じるようになり、Webじまいを検討中です。
Webの中に乱れがありましたならばご容赦ください。

山本明正(やまもと あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2024年12月(令和6)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)

1件のコメント

  1. 山本 様
    いつも興味ある情報提供ありがとうございます。
    いくつになっても精力的に活動されている姿にエネルギ―と刺激をいただいています。
    来年も元気にご活躍されることをお祈り申し上げます。
    良いお年をお迎えください。

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