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日航ジャンボ機(JAL123便)墜落事故 <日航ジャンボ機 展望図> 1985年(昭和60年)8月12日 日本航空JAL123便墜落事故(死者520人) この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図
十文字峠上空7244mから、方角333度(仰角−40.0度)、640×480 長野・群馬県境:
御巣鷹<山>の尾根: ----------
日航機2:初期発表当時の墜落推定位置
日航機:実際の墜落位置 墜落推定位置と実際の墜落位置の距離、すなわち測定誤差は、4.162kmである。ただし、方位にはほとんど狂いがなく、偶然にも御巣鷹山は両者を結ぶほぼ直線上にある。 ここで、墜落推定位置というのは、厳密には機影が山陰に消えた地点のことである。その地点は、フライトレコーダーの解析によれば、御巣鷹山のわずかに北西側あるいは南東側と推定される。したがって、測定誤差は御巣鷹山付近からの距離分しかなく、非常に正確な計測値が得られていたといえる。 ところが、この緯度経度に”御座山<北>斜面説”がセットになって流布された。国土地理院地形図(二万五千分1あるいは五万分1)を用意すれば、作為的に誤った地名情報を流していることはすぐに分かることである。しかしながら、マスコミ等でその事を指摘した者は誰一人いない。 なお、日航機は御巣鷹山付近上空から、高度を下げながらも東側にほぼ一周旋回した後、御巣鷹山の<南南東>約1.8kmの地点で、無名尾根に墜落した。
参考までに、墜落現場は ----------
事故翌日の群馬県警発表では、「(墜落位置は)御巣鷹山と群馬・長野・埼玉県境の交わる三国峠とを結ぶ線の中間点、御巣鷹山の東南東2.5kmの尾根」となっている。河村著書P290 墜落現場のある尾根は、もともと<無名>尾根であった。しかし、無名では何かと不便という理由で、後に<御巣鷹の尾根>という名前が新たに付けられた。命名者には、御巣鷹山の<近く>の尾根という認識があったのであろうが、これは混乱を招きやすい非常に曖昧な命名法だったといえよう。 墜落現場の位置を再確認すると、<御巣鷹山がある尾根>の南に平行して走る”大蛇倉尾根”の、さらに少し南を県境から東へ流れる支尾根上である。 そして、墜落現場となった尾根の谷側を”スゲの沢”という。 したがって、尾根の名称としては「スゲの尾根」あたりが妥当だったのではなかろうか。河村著書P290〜291 <大蛇倉尾根>がこの附近では一番大きな支尾根だ。その<北側>には「神無川」の支流である”大蛇倉沢”が流れる。大蛇倉沢を登りつめたさらに<北側>に「御巣鷹山」がある。大蛇倉尾根の<南側>を、「神無川」の上流部にあたる”長戸沢”が<南西>の方角に流れている。長戸沢本流を<南>の方角にさらに登りつめると「三国山」に至る。長戸沢からは大蛇倉尾根の南側に沿って”スゲの沢”が分岐しており、それを<西>に登りつめた支尾根に事故現場がある。 ---------- 群馬県警捜索隊(隊長隊)は、<三岐>から神流川(かんながわ)支流に沿って、西側(ぶどう峠寄り)の中之沢を経て仲ノ沢林道に入り、そこから南にさかのぼっていった。県境から流れる尾根(県境ピーク(1815m−船留)〜1747m〜1444.0m〜976.2m)の西側方面である。 この林道のわずか東に、さらに小さな支流(カマガ沢)があり、その右岸(東側)中段が日航機2ポイント(当初墜落推定位置)である。しかしながら、捜索隊の動きからは、墜落現場がすぐ近くにあるはずだという緊迫感は全く伝わってこない。 群馬県警捜索隊(副隊長隊)は、<三岐>から神流川本流を南へさかのぼる。途中右手に御巣鷹山の尾根、大蛇倉尾根をやり過ごし、上流(長戸沢と名前が変わる)の営林署跡に至る。墜落現場は、ここを右に行ったスゲノ沢を登りつめた地点である。しかし、捜索隊は三国山よりもさらに東の1730mピーク尾根に取付いたと思われる。現場とは真反対の方角である。 Akimasa Net |