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<細見谷をクマの聖域に>


動物たちは、いつ大陸からやってきたのか:

地球はその誕生以来、幾多の変化を乗り越えて今日の姿をみせている。その間誕生した生命は、やがて植物となり動物となって、地球の変化に耐え、あるいは打ち負かされながら進化してきた。現存している動植物は、そうした地球上の壮大なドラマの結果なのだ。それを思う時、草木1本に至るまで、あだやおろそかに扱うことはできない。21世紀はまさに環境の世紀だ。

ところで、現在日本にいる動物は、いつごろどういうルートを通って、大陸から渡ってきたのだろうか。当然ながら、それぞれの渡来の時期には、何らかの形で大陸と日本列島(あるいはその祖形)が陸続きであったはずだ。そして、動物といっしょに人類も渡ってきたことであろう。

小澤智生・名古屋大学理学部地球環境科学専攻教授は、以下の方法を用いて、日本の動物相の起源や現在の生物相について研究をすすめている。

「私は2つの方法を用いて研究をしてきました。1つは、分子系統解析です。分子系統解析というのは、DNAの塩基配列データに基づいて、お互いの生物の個体、集団、種の間の関係と、それらの系統と分岐時期を明らかにする方法です。もう1つが、化石の記録です。化石の記録というのは「いつの時代に、どこに、どういう生物がいたのか」という実際の記録です。このような2つの異なる意味合いの情報を統合して、日本の動物相の起源や現在の生物相がどのように成り立ってきたのかということについて研究してきました」

ニホンツキノワグマは独立した種である:

小澤によれば、「ツキノワグマは西はイラン高原からカシミール、インドシナ、チベット、中国南部、台湾、中国東北部から沿海州、そして日本列島にいたる8つの地域集団(分類学的に8亜種)から構成されます」。日本産ツキノワグマと大陸産のそれでは、たてがみの様子や頭蓋の形状が異なっており、日本産を別種(ニホンツキノワグマ)として区別する場合がある。なお大陸産は、ヒマラヤグマ、アジアクロクマとも呼ばれる。

小澤はさらに続けて、ツキノワグマ集団の遺伝的解析をした結果、「ツキノワグマは約200万年前に共通の祖先から分かれた2群があり、1つは大陸に残っている大陸亜種集団、もう1つは日本にいるニホンツキノワグマです。ニホンツキノワグマは東日本集団と遺伝的に個性の異なる西日本集団に2分化されています。これは恐らく異なる時期に渡ってきたものです。現在では形態的な違いも踏まえて、ニホンツキノワグマを亜種ではなく独立した種にすべき」と主張している。

日本国内のツキノワグマ分布:

全国のツキノワグマの分布状況をみると、東北から関東・中部そして近畿の山地にかけて、ほぼ連続した分布域が認められる。分布の中心は、東北地方の岩手、山形、秋田3県と中部地方の長野、岐阜両県である。近畿地方の比良山地や丹波山地など日本海側に面した山地における分布域は、兵庫、岡山、鳥取の県境付近まで拡がる。そして、そこが東北地方からの連続分布域の西限となっている。

本州ではその他、紀伊山地と西中国山地に隔離された孤立分布域が存在する。四国の地域個体群は、現在では剣山山系(徳島・高知県境)だけに分布域が縮小している。その推定生息頭数は十数頭から数十頭であり、繁殖は確認されているものの、すでに絶滅したとされる九州に次いでその可能性が高いと考えられる。なお上記の地域個体群は、いずれも環境省レッドデータブックの「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定され、狩猟は禁止されている。(全国の推定生息頭数一万頭〜一万五千頭、捕獲数1,000〜1,500頭/年)

西中国山地のツキノワグマ:

最近の西中国山地におけるツキノワグマ生息状況調査の結果が、西中国山地ツキノワグマ保護管理対策協議会(広島・島根・山口3県)から公表された(2006年06月06日付け中国新聞地域ニュース)。

それによると、2004年と2005年の調査において、推定生息数300〜740頭(1998年〜1999年、推定480±200頭)、生息エリア約7千平方km(同、約5千平方km)、最高密度地域では3.4平方km/頭(同、3.2平方km/頭)となっている。6年前と比べて、個体数は微増、生息エリアは約1.4倍に拡散している。

なお、ここでいう西中国山地とは、広島・島根・山口3県境付近を中心として、西は山口市以西から、東の広島・島根・鳥取県境に至る地域を含んでいる。そして、新たな生息域に下松市が加わり、周南市や大田市などでエリアの拡大が目立った、としている。

2004年度は全国的にクマが大出没した年であった。広島・島根・山口3県では260頭が捕獲され、放獣27頭を除いて233頭が駆除(殺処分232頭、動物園1頭)されている。2005年はクマの出没はなく、駆除数も3県で12頭が確認されたのみであるが、ここ4年間の捕殺数は438頭にのぼる。その数は推定生息頭数の平均値とほとんど変わりがない。

もちろん、推定生息頭数そのものが限られた条件のなかで割り出されたものであり、一応の目安として取り扱われるべき数値であるとはいうものの、4年間で生息頭数とほぼ同数を捕り尽くしたとすれば大変なことである。ツキノワグマの場合、絶滅を回避できる個体数(存続可能最少個体数:MVP)は100頭以上とされている。西中国山地のクマは今後どうなるのであろうか。

細見谷渓畔林のツキノワグマ:

細見谷渓畔林では、大量捕殺の年に越冬したクマが複数確認されている。そして、2005年9月にクマの当歳仔が定点観測カメラによってとらえられた。繁殖の確実な証拠であり、同渓畔林の豊かさを示したものといえよう。とはいうものの、細見谷においても大量捕殺のダメージは大きく、クマの痕跡は大幅に減少し、定点カメラがとらえるのは小型の若い個体ばかりだという。

それでもなおかつ、「比較的生産性が豊かな細見谷渓畔林は、西中国山地のツキノワグマ個体群の保全にとってきわめて重要な位置にあり、同渓畔林の多様性保全は西中国山地に生息する個体群復活のキーポイントとなる」(「細見谷と十方山林道」(2006年)金井塚務P.021)

ところで、「吉和村誌」(第1集)P.112には、「クマについては、中国山地では、1959年、14頭が確認され、内備北山地3頭、芸北山地6頭、石見山地5頭」となっている。ここで確認の意味は、目撃したのみなのか捕獲数を表わすのかはっきりしないが、いずれにしてもクマが山里にでることは少なく、したがって、一般住民がクマと接触する機会は非常に少なかったものと思われる。

しかし現在では、西中国山地のツキノワグマ個体群は、年々生息域を拡大している。そして今では、里山に居ついたかと思われるようなクマ(平成クマ、田中幾太郎さん命名)まで現われるようになった。

「その主な原因は、個体数の増加にあるのではなく、むしろかつてあったような生産性豊かな落葉広葉樹林(渓流も含む)の減少と生産性の低下が急速に進行したことによる」(「細見谷と十方山林道」(2006年)豊原源太郎P.028)

落葉広葉樹の豊かな森は、クマの楽園だ:

生物多様性センター(環境省自然環境局)の成果物の一つである「動物分布調査報告書[哺乳類](昭和56年/全国版その2)」をみると、「地方別のツキノワグマの分布は,一見して,本州,四国および九州における落葉広葉樹林の水平的分布とよく一致したものになっている」として、次のように述べている。

「地方別にみると1kmメッシュ総区画数に占めるブナ帯区画数およびツキノワグマ生息区画数の割合は同一傾向を示し,ブナ帯区画率の順と生息区画率のそれとは同一となっている。このことは両者の間に正の相関関係が成立することを示唆するものである。(中略)これにより,概して東日本で濃く西日本で薄いツキノワグマの分布のパターンが植生から説明することができる」

田中幾太郎氏(島根県益田市在住)がいつも語るのは、西中国山地には、猟師すら近づかない程の深い深い森があり、その豊かな森ではツキノワグマが人知れず暮らしていた、という事実だ。そのようなブナを始めとする落葉広葉樹の森は、林道開通とチェーンソー や架線(ケーブル)の導入であっという間に伐採されてしまい、その後の拡大造林で植えられたスギ、ヒノキは、林業環境の激変の中で、手付かずの状態のまま荒れるにまかされている。「細見谷と十方山林道」(2002年)田中幾太郎P.049-052(月間情報誌「環・太田川」2001年9・10月号より抜粋) )

落葉広葉樹の豊かな森は、豊かな水源ともなる:

クマが安心して生息できる落葉広葉樹の豊かな森は、豊かな水源ともなる。ヒトの生存にとっても欠かせないものだ。しかしながら、細見谷渓畔林(最低標高750m前後)上部のヒノキを主とする人工林は、ここでも例外なく今や何の手入れもされず放置されている。

そこはほとんど国有林であり、水源涵養保安林だと聞いている。太田川源流の一つでもある。その太田川を主な水源とする広島の水道水は美味い、と他県の人によくいわれる。渓畔林の優れた水質浄化能力は、太田川の水質を高めるのに役立っている。また、広島特産カキの養殖もこのような水源なくしては成り立たない。山が荒れれば川や海が荒れる。川や海を育てるには、豊かな森づくりから始める必要がある。

「水源涵養機能の強化ということからすると、速やかにもとの自然林・落葉広葉樹林に戻すべきです。自然林に戻すには、当面強間伐して針広混交林にしてしまえば、あとは何をする必要もありません。間伐は可能な場所では伐り倒しにすれば、コスト面でも有利です」 (「細見谷と十方山林道」(2002年)中根周歩P.059)

なお、押ヶ峠にある「水源かん養保安林」の図をみると、押ヶ峠から東側つまり細見谷川沿いは、上流の渓畔林部分および下流の渓谷部分ともに、水源涵養保安林の範囲には含まれていない。

金井塚務・広島フィールドミュージアム会長の調査:

金井塚務(広島フィールドミュージアム会長)は、2002年10月の予備調査(翌月本格調査開始)以来ほぼ毎週のように細見谷渓畔林に入り、ツキノワグマを中心とした哺乳類の調査を継続中である。2004年11月には、ロクロ沢(細見谷川支流)においてツキノワグマが魚食する証拠を発見している。対象となったのは、ゴギ(サケ科イワナ属イワナの地方型)だ。

「西中国山地でのツキノワグマの魚食に関しては、これまでもクマ猟を生業としていた猟師たちの間で知られた行動であったという(田中幾太郎 1995)。ツキノワグマがサケ科渓流魚を常食として冬眠に備えるということになれば、知床半島のヒグマ同様、細見谷渓畔林での高密度での生息が可能になる」(「細見谷と十方山林道」(2006年)金井塚務P.021)

つまり、細見谷が元のような全山落葉広葉樹で覆われた深い深い森になり、ゴギをはじめとする渓流魚の数が元通りに増えるとするならば、そして、クマがサケ科の渓流魚(動物性たんぱく質)を食べるとするならば、より多くのクマが細見谷で暮らして行くことができるだろう。もちろん、わざわざ里山へ出て行く必要はなくなる。

「また、2004年の秋のような極端な凶作時には、タヌキやイノシシ・ノウサギといったほ乳類を狩ったりあるいは死体を食べたりということもあることが伺える。こうした動物質の捕食習性に関しては今後、解明すべき大きな課題である」(同上P.021)

本質的な解決策を!

人里に近づくクマに関するクマ警報を発することは、ヒトとクマの接触事故を防ぐために確かに大切なことだ。カキもぎ隊の活動のように、クマを人里に近づけない工夫も必要だろう。しかしながら、最も大切なことは、クマが人里に近づかなくても暮らしてゆける環境を整えてやることだ。というよりも、そうした環境を取り戻してやることだ。

古老達が口々に語っているように、細見谷には昔、といってもほんの数十年前までは、ブナをはじめ全山落葉広葉樹で覆われた深い深い森があった(「広島のブナ林」(2005年)P.114-121)。クマが生き延びていくためには、そうした環境が不可欠だ。そして、そのような環境なくしてヒトの生存もあり得ないことは言うまでもない。


名古屋大学理学部・大学院理学研究科、広報誌 理フィロソフィアNo.10 April 2006特集「生き物の語る地球史」彼らはいつ日本に来たのだろうか 小澤智生、地球環境科学専攻教授(2006年1月12日、第10回理学懇話会より)
http://www.sci.nagoya-u.ac.jp/kouhou/10/10.pdf

生物多様性センター>>動植物分布調査>>成果物一覧から選択
動物分布調査報告書[哺乳類](昭和56年/全国版その2)
もくじ、3 ツキノワグマの分布について、花井正光
http://www.biodic.go.jp/reports/2-6/ad069.html

眞田恭司「広島のブナ林 四季を歩く59山」南々社(2005年)

図版:縄文時代晩期(3,000年前頃)の日本列島の植生図と古地理
田畑久夫「照葉樹林文化の成立と現在」P.052


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