AKIMASA.NET >> 細見谷渓畔林と十方山林道(出版計画)
<林野行政今昔、細見谷渓畔林はこうして残った> 十方山林道の建設 十方山林道の吉和側にある押ヶ峠(標高約890m)には、”恐羅漢細見峡「自然休養林」”と書かれた大阪営林局広島営林署(林野庁)の朽ちかけた木製の標識が立っている。道路を挟んで反対側には、林道開設記念の石柱があり、その裏をみると、昭和廿六年四月着工、昭和廿八年十一月竣工となっている。そして、その隣には、昭和三十四年度竣功と書かれた木柱も建っている。 桑原良敏「西中国山地」P.116を読むと、「吉和村の八郎橋よりヤマダチ谷を経て細見谷へ入る十方林道は、昭和二十六年に完成し五里山側の一部を伐採したがそのまま放置され、荒れるにまかされていた。昭和三十年前半に修復され、以後細見谷国有林の大規模な伐採が行われている」と書かれている。 以上をあわせ読むと、十方山林道は、1953年(昭和28年)完成、1959年(昭和34年)再整備されたもののようである(昭和26年完成は間違いだろう)。なお、峠には、「水源かん養保安林」の範囲を示した立て看板がある。それを見ると、押ヶ峠から東側つまり細見谷川沿いは、上流の渓畔林部分および下流の渓谷部分ともに、水源かん養保安林の範囲には含まれていない。 ただし、昭和35年(1960年)11月1日付け「官報」農林省告示第千八十二号で、広島県佐伯郡吉和村字十方山所在の森林(国有林)が水源かん養保安林に指定されている。 下山林道の建設 十方山林道沿いの下山橋(標高880m前後)から、下山林道が南に向って十方山南西尾根に登っている(二万五千分1地形図、黒実線)。この下山林道は、十方山南西尾根の鞍部(標高約1090m地点)を越えて瀬戸谷に入り、少し下ったところにある十方山雨量観測局のすぐ先で、二つに分岐する。一つは、南西尾根の東南面を北東に向い、瀬戸谷南尾根近くに至る(地形図よりもさらに延びている)。もう一つは、同じく南西尾根東南面を南西に向い、黒ダキ山1084.7m手前に至る(地形図には全く記載なし)。 黒ダキ山に向かう林道は、黒ダキ山北西の最低鞍部を乗り越して、立野キャンプ場から延びる下山林道とつなげる計画であったようだ。いずれ一つの下山林道として結ばれるはずであった林道が、未完成のまま残されたため、下山林道といった場合にどちらを指すか多少の混乱を招いている。 下山林道建設中止 桑原著「西中国山地」の中で、瀬戸谷上部に下山林道が延びてきて、「静かであったこの谷(瀬戸谷=筆者注)も、先が見えてきたようだ」と述べている箇所がある。 すなわち「細見谷のマゴクロウ谷落ち口より、十方山南西尾根の最低鞍部(細見谷側五月谷と瀬戸谷側中の谷)を越して、瀬戸谷水源部へ降りる林道の建設が進められている。谷はズタズタに切断され、早晩伐採の運命にあるのではないかと思われる」(「西中国山地」P.105)。 さらに、「この濁り水は中の谷から出ていることがわかった。(中略)谷の水源部に近づくと濁水の原因が判明した。林道が十方山の南西尾根を横切っている地点より大崩壊が起こり、300m近く岩床が露出し、下部に倒木・岩塊・土砂が堆積していた。峠付近では林道工事のブルトーザーが唸り、静かであったこの谷も、先が見えてきたようだ」(同上P.106)と述べている。 正確な年月は不明だが、下山林道の建設は中止された。そして、瀬戸谷には、今でも落葉広葉樹の美しい自然が残っている。 広島県の自然を守る県民の会 1970年(昭和45年)代前半、細見谷上流部でわずかに残っていた原生林(渓畔林)はかろうじて保全されることになった。国や県そして一般市民がそれぞれの立場で努力した結果である。その時のいきさつについて、以下で「中国新聞」記事を参考にまとめてみよう。 1972年6月17日付け「中国新聞」記事は、「中国山地の自然林と渓谷を破壊から守り、”人間回復”の聖域を次代に伝えよう」と訴えて、近く「広島県の自然を守る県民の会」が結成されることを報道している。 発起人は6人で、「昨年秋、西中国山地国定公園として名高い恐羅漢山、十方山付近を歩き、林道造成によって、荒れ放題になっている自然林を見て、驚き「何とかしなくては」と立ち上がった」。広島県でも同様の危機感を持っており、「あまりの景観破壊に県林務部もすでに昨年七月、大阪営林局に同地区を自然休養林に指定するよう要望していたが、現在まで音さたなし」だという。 同記事によれば、「同地域はほとんど国有林。国が指定している伐採禁止区域は近畿以西では標高千三百m以上の地域であるため、恐羅漢山(1346m)、十方山(1331m)、冠山(1339m)の頂上付近を除いて、自由に伐採できることになっている」。なお、「国の計画で大規模林道調査が進み、林道建設が来年度から着工の動きもある」としている。 1972年6月30日付け「中国新聞」記事は、上記守る会の代表が29日に広島営林署を訪れ、「十方山細見谷の原生林を伐採しないよう申し入れた」ことを伝えている。同記事によれば、「十方山ろく一帯には約四千四百ヘクタール広葉樹原生林があったが、三十五年ごろから、広島営林署が伐採を始め、今では細見谷に約八百二十ヘクタール、下山一帯に約五百四十ヘクタールが原生林として形をとどめているにすぎない」としている。 細見谷渓畔林はこうして残った 1972年10月19日付け「中国新聞」記事は、広島営林署が伐採計画を変更して、十方山地域においては「当面四十九年(1974年=筆者注)まで伐採を保留、今後もできる限り”オノ”を入れない方針」を決定したことを伝えている。そして、すでに伐採の始まっている地区でも、保護樹林帯を従来の二十メートルから四十メートルに拡大するなど、「自然保護に前向きで取り組む姿勢を見せている」と書いている。 同記事では、西中国山地(恐羅漢山、十方山、吉和冠山など)の大半が国有林(三千七百四十一ヘクタール)となっているが、自然林のまま残っているのは約半分の千八百九ヘクタールとしている。 そして、伐採反対をとなえる市民は、「数年前に比べて変わりようがひどすぎる」と訴えている。なお、広島県も「細見谷地区の伐採が始まった直後「県下でも数少ない自然林で、学術的にも貴重な細見谷の伐採を中止してほしい」と大阪営林局に申し入れていた」という。 細見谷川下流部(細見谷渓谷)沿いの林道建設中止 この頃、細見谷川下流部(細見谷渓谷)沿いでも皆伐計画があり、反対運動の結果、立野キャンプ場から延びる下山林道は建設中止、県も協力して自然休養林として保全された。これらの成果は、一般市民の働きかけとともに、鈴木兵二教授(広島大学理学部生物学科植物分類生態学研究室)らの強い反対があったためとされている。 国有天然林を環境省へ移管する請願 2006年12月5日付け「朝日新聞」によると、学者や自然保護運動家らが5日、「日本の天然林を救う全国連絡会議」を立ち上げ、運動を始めるという。同会議の代表世話人は、国際自然保護連合委員の河野昭一・京都大名誉教授(植物生態学)である。 同記事の中で、東北森林管理局青森事務所の「台風で倒れた木を片付けた。立ち木は切っていない」(写真付き)との説明に対して、「積雪の中に立つ木を切った跡では」との疑惑あり。また、北海道の国有林の天然林乱伐に対して、「決められた地域を越えて伐採した」と林野庁も認めた。あるいは、天然秋田スギの違法伐採では、東北森林管理局が委託していた業者が書類送検された。等々、林野庁でも「森林すべては把握しきれない」と自らの限界について述べている。 国有林野事業は、1998年に抜本的な改革(国有林野事業の改革のための特別措置法)を行っている。3兆8千億円の累積赤字のうち、2兆8千億円を一般会計などで補填するなどして、「林産物の供給に重点を置いたものから公益的機能の維持増進を旨とするものへと転換する」(同法第五条の一部抜粋)という方針を決定したはずであった。しかし、その実態は上記新聞記事の通りである。 河野先生からの直近のメールによれば、「国有天然林を環境省へ移管し保全する改革に関する請願書」の署名活動が開始されている。貴重な天然林の伐採を止めよう。国有林内の天然林の管理は、林野庁ではなく、すべて環境省に移管して保護・保全すべきという主張である。なお、国有林内の手付かずの天然林は、今やわずか278万ヘクタールしか残っていない。 請願および署名呼びかけ人には、梅原猛、吉川宗男、吉良竜夫、C.W.ニコル、加藤幸子、池沢夏樹、野田智佑、佐高信、青木淳一、五十嵐敬喜、石弘之(敬称略)といった方々のお名前がある。さらに、大規模林道問題全国ネットワークの方々、広島県の市民団体の方々、その他の方々のお名前がある。私も、メールに添付の請願書用紙を打ち出して署名するつもりである。
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