AKIMASA.NET >> 細見谷渓畔林と十方山林道(出版計画)
<桑原良敏著「西中国山地」と私> 桑原良敏著「西中国山地」: 私が山行を再開したのは、二十世紀最後の年、2000年(平成12年)7月のことである。翌年2001年11月には、西中国山地に初めて足を踏み入れ、3週連続で吉和冠山、十方山、そして恐羅漢山を登っている。 その西中国山地を歩く人にとって、桑原良敏著「西中国山地」溪水社(1982年)はバイブル的存在となっている。私は同書(1997年復刻版)を2001年12月に購入した。本書がまだ品切になる前のことで、一般書店で購入している。 著者の桑原良敏さん(広島女学院大学名誉教授)は、2001年12月に75歳でなくなった。中国新聞記事「悼記」(2001年12月11日(火)付)には、”「広島の裏山」愛し続け名著残す”と題する次のような署名記事が載っている(同紙編集委員・山内雅也さん)。その中から一部を引用してみよう。 「(桑原良敏著「西中国山地」は)、地元の古老から聞き書きした谷々の名を刻んだ山の概念図、山名の由来を古文書などから考察した地名考、動植物の分布を記録した博物誌から地形、生物の方言まで収め、登山書としては例を見ない異色の内容」となっている。 なお、同書巻頭には、故・今西錦司が"「西中国山地」に寄す"という一文を初版(1982年)のときに贈っている。 同行山行: 私の山行では、単独行が圧倒的に多い。家族あるいは親族以外の方と本格的な山行でご一緒したのは、広島市内在住の"Iさん"が初めて である(2005年5月)。そして、その縁を取り持ってくれたのが、桑原著「西中国山地」だった。 当時すでに、本書は初版はもちろんのこと、復刻版も「幻の書」になりつつあり、広島市内の古書店では、定価3500円(税別)の5倍の値付けをしているところもあった。そうした中で、私が買い増していた一冊をアマゾンで売りに出して、"Iさん"に買っていただいたのがキッカケ であった。 通常の取引ならば、本の受け渡し(郵送)をすればそれでお仕舞いである。しかし、アマゾンを介した手続きに不都合があり、メールの交換をしているうちに、"Iさん"と私の西中国山地に対する思いの波長が合い、同行させていただくことになった 。 "Iさん"と私の同行山行は、黒ダキ山と沼長トロ山の二回である。これら二つの山は、細見谷渓谷(細見谷川下流部)をはさんで、南北に対峙している人影の少ない静かな山 である。桑原によれば、「黒ダキ山周辺の山と谷は最も足繁く通った場所の一つ」(「西中国山地」P.109)だという。場所の選定は"Iさん"が行った。なかなかしぶい山を選んだもの である。 黒ダキ山では、登山口に取り付いてすぐに私がバテたり、沼長トロ山では、樹冠に覆われた登山道で現在位置を見失ったりと、思い出深い山行となっている。 広島山稜会(会報「峠」): 桑原良敏が所属していた山の会の名前を「広島山稜会」という。桑原は、広島山稜会発足当時(昭和34年(1959年)3月2日発会式)からのメンバーの一人であった。その山稜会では、会報「峠」("たお"と読む)を出しており、1994年(平成6年)11月26日には、創立35周年特集号(通刊第32号、限定300部)を発行している。 私は、2006年秋にその特集号を閲覧させていただく機会を得た。堀啓子さん(広島山稜会元会長)の特別の計らいによるものだ。堀さんとは、2005年7月に開かれた環境保全調査検討委員会(第7回)を傍聴した後で、メール交換をして親しくしていただくようになった。元々、大学の10年先輩後輩の間柄なのだが、それまではきちんとお話しする機会はなかった。 さて、記念誌は、全体で千二百ページになろうかという大部(全一冊)のものである。巻頭に、広島山稜会会長・野間弘さんの挨拶「記念誌発行に当たって」が載っているのでご紹介してみよう。 「私達には、国内の困難なルートを開拓したとか、ヨーロッパアルプスの記録的な登攀をしたとかの輝かしい記念碑はありません。県北の主に中国山地の1,000メートルクラスの山々や、未だ登山者が入っていない未知の谷や、深い山をもとめて歩いてきました。私達のホームグランドである恐羅漢の山麓にひえばた小屋を建設して、無積雪期から残雪期、そして厳寒期の雪山の前進基地とし、周辺の山を開拓してきました。」 (引用ここまで) 西中国山地の山々は、百名山(深田久弥)ではもちろんなく、二百名山(深田クラブ)にも入らず、確か三百名山(日本山岳会)からもはずれているはずだ。それでも人を引き付けてやまない何かがある。山の上では、冷温帯落葉広葉樹の深い深い森にツキノワグマを始めとする動物たちが暮らし、その下には、人々の暮らす里山があった。ヒトと動物が棲み分ける樹林帯の色濃い自然が魅力の一つであることは間違いない。 あと三年足らずで、広島山稜会は設立五十周年を迎えることになる。特集号の編集準備も始まったと聞いている。完成の暁には、ぜひ再び閲覧を許していただきたいと願っている。 広島山稜会山行に参加する: 私は、広島山稜会の行事に一度だけ参加させていただいたことがある。2006年夏のことだ。感謝の意味を込めて、我がWeb上で公開していた山行記をここに転載することにしよう (一部略、一部表現変更)。恐羅漢山〜(台所原)〜管理林道〜夏焼峠(出発帰着、牛小屋高原) 堀啓子さんから声がかかった。山稜会がパーティを出すので参加してみないかというのだ。(一部略)結局、私一人での参加となった。なお、以前のつながりで岡山県のパーティ8名も現地で合流した。こうして、山稜会4名と合わせて合計13名のパーティが出来上がった。なお、 堀さんは風邪気味で山小屋(ひえばた小屋)待機となる。 小雨がぱらつく中で、上下雨具でかためて歩き始める。時折気持ちのよい風が吹いてはくれるものの、かなり蒸し暑く汗の量が多い。ペースはまずまずだろう。恐羅漢山山頂まで1時間10分位だったろうか。今日は記録(時間、デジカメ)はいっさいとらず歩くことを楽しんだ。なおその後、雨はあがって上着、ズボンと順番に雨具を脱いでいった。午前10時前出発、午後3時半頃帰着。 恐羅漢山山頂で次弟に出会った。旧羅漢山の方から一人で現われて皆とあいさつをしている。先週、ほんとに久しぶりにいっしょに歩いて、十方山中の沢と尾根で苦労をしたばかり である。2つ3つ情報を交わして別れた。もちろん誰も兄弟とは気づいていないはずである。その他、今日は「細見谷と十方山林道」2006年版の編集・出版でお世話になった方とも出会った。そして、山のエキスパートであることを初めて知った。縁とは不思議なものである。 台所原のブナを楽しみながら下る。雨が降った後の下りは少し滑る。慎重に下った。山稜会トップを歩く方が、笛を絶えず鳴らしている。バレーボール競技で使用するもので、口で吹く必要はなく手で操作するものらしい。(一部略) 台所原から南西の方向にある谷を少し見学してきた。今日のように恐羅漢山から台所原まで下りて、そのまま真っ直ぐ突っ切ると、中ノ川山から天杉山へ至る稜線に出る。以前そこを通ったとき、左折する踏み跡が深いササ藪の中についており気になっていた。だから、面白がって付いていった。行き着いた先は崖になっており、沢が見える位置まで下りたが、その先は13名のにわか混成部隊には少し荷が重そうだった。山稜会の方々の判断で引き返す。(一部略) 下山後、「ひえばた小屋」にお邪魔をしてコーヒーをご馳走になる。この山小屋は、広島山稜会発足当時に建てられたと聞いている。会のシンボルとして今後も存続されることを今日の機会をご縁に祈念いたします。今日はお誘いいただきほんとうにありがとうございます。
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