| AKIMASA.NET >> 団塊の世代一代記 <吉野ヶ里遺跡> 吉野ヶ里遺跡は、北部九州・佐賀県の丘陵上(神埼郡神埼町、三田川町及び東脊振村)にあり、全国でも最大規模の環壕集落遺跡として知られている。遺跡は弥生時代を通して存在しており、「ムラ」から「クニ」への変遷の跡をたどることができる非常に貴重な遺跡である。 吉野ヶ里遺跡は、1991年(平成3年)5月28日に国の特別史跡に指定された。そして、国営公園(吉野ヶ里歴史公園)として、周辺の佐賀県営公園とともに、一体的な都市公園として計画・整備されている(総面積約117ヘクタール)。 吉野ケ里歴史公園では、「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」の吉野ヶ里を想定して復元整備を行っている。魏志倭人伝のいう「クニ」を想定しているといってよいだろう。 V字型環壕はもちろんのこと、弥生時代では最大規模とされる大型建物跡の復元(木造三層二階建ての”主祭殿”)などを見ることができる。 2005/01/21初出 プロジェクトX −挑戦者たち− 吉野ヶ里遺跡は、北部九州・佐賀県の脊振山系から舌状に延びた丘陵上(神埼郡神埼町、三田川町及び東脊振村)にあり、全国でも最大規模の環壕集落遺跡として知られている。遺跡は弥生時代を通して存在しており、「ムラ」から「クニ」への変遷の跡をたどることができる非常に貴重な遺跡である。 吉野ヶ里遺跡は、1991年(平成3年)5月28日に国の特別史跡に指定された。さらに、平成4年10月27日の閣議決定により、国営公園(吉野ヶ里歴史公園、面積54ヘクタール)として国土交通省によって整備されることになった。 また、本公園の周囲は、国営公園と一体となった遺跡の環境保全、及び歴史公園としての機能の充実をはかるため、県営公園(約63ヘクタール)として佐賀県によって整備が進められている。すなわち吉野ヶ里遺跡は、その周囲も含めて総面積約117ヘクタールの区域が、一体的な都市公園として計画・整備(継続中)されているのだ。 さて、吉野ヶ里遺跡では、弥生時代前期においてすでに環壕を持った集落が出現しており、「ムラ」から「クニ」へ発展する兆しをみせている。中期には、丘陵を一周する大規模な外環壕が形成され、後期に至って、環壕が更に2ヶ所の内郭(北と南)をもつようになった。 北内郭と名づけられたゾーンは、二重の壕と城柵(土塁と柵)で囲まれており、複数の大型建物跡が発見された。このうち弥生時代では最大規模とされる大型建物跡は、祭祀場であったと考えられており、木造三層二階建ての”主祭殿”として復元されている。 吉野ヶ里遺跡は、弥生時代後期に環壕集落の形態を最も整え最盛期を迎えたものと考えられている。そこで、吉野ケ里歴史公園では「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」の吉野ヶ里を想定して復元整備を行っている。魏志倭人伝のいう「クニ」を想定しているといってよいだろう。
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